2025年4月20日に茨城県土浦市で開催された「かすみがうらマラソン」に参加してきました。レースの詳細は後程語りますが、このレースをもって僕の2024-2025のマラソンシーズンが終わりました。
…というわけで今回は2024-2025のマラソンシーズンを振り返ってみたいと思います。
- 2024年9月15日:「富士山クライムラン」に挑戦
- 2024年10月27日:「水戸黄門漫遊マラソン」で撃沈
- 2024年11月24日:「つくばマラソン」で念願のサブ4を達成
- 2024年12月16日:ダイナミック捻挫
- 2025年1月:足の様子を見ながら軽めのジョギング
- 2025年2月2日:神奈川マラソンDNS
- 2025年3月2日:アップダウンの激しい「三浦国際市民マラソン」で現時点の状態を確認
- 2025年3月16日:風雨の「さいたまマラソン」でハムが逝く
- 2025年4月20日:シーズンラストランの「かすみがうらマラソン」
- シーズンを振り返って
2024年9月15日:「富士山クライムラン」に挑戦
2時間以内に完走すると翌年の富士登山競走の山頂コース参加の権利が付与される、ジェネリック富士登山競走五合目コース、富士山クライムランに参加しました。
あわよくば2時間以内に完走して翌年は山頂コースに…と目論んでいましたが、想像以上の登り坂にトレイルに入る前に戦意喪失…。
トレイルで巻き返しを狙いますが、スピードを上げられず2時間6分ちょっとという惜しい結果に終わりました(今年開催の富士登山競走の五合目コースはクリック合戦の結果、参加できることになったので練習頑張ります)。
2024年10月27日:「水戸黄門漫遊マラソン」で撃沈
前シーズン(2023-2024)はシンスプリントの痛みが引かずに予定していたレースはすべてキャンセルすることになってしまいましたが、月に100kmくらいは継続して走っていたので、それなりのタイムで完走できるだろう…と思っていました。
ところがハーフを過ぎたあたりで足の疲労が出始めて、30kmを過ぎる頃には足が完全に終わってしまいました。
結果は約4時間半…。
不甲斐ない結果にゴール直後は気を落としましたが「俺はこんなもんじゃない」「もっとやれるはず」と翌月のかすみがうらマラソンに向けて決意を新たにしました。
2024年11月24日:「つくばマラソン」で念願のサブ4を達成
アップダウンがそれなりにあった水戸黄門漫遊マラソンとは違い、ほぼフラットの高速コースのつくばマラソンはとても走りやすかったです。
前半飛ばし気味に入って、後半はなんとか粘り(といっても最後の数キロ付近は歩いてしまいましたが)念願のサブ4を達成しました。
上の写真をブログやSNSに掲載したところ、お祝いの言葉とともに「腹が出ていない」というハンドルネームに相反する体型であるという苦情を何件か頂戴し、本当に腹が出ていることを証明するために恥ずかしい写真を公開することになりました。
先日つくばマラソン完走後の写真をポストしたところ、何名かの方から「腹が出ていない」といった内容の指摘を受けましたので、今朝走ったあとに写真を撮りました。
— はらですぎ (@hara_desugi) 2024年12月1日
これで僕の名誉は守られた…のか?https://t.co/UlexIDWQrm pic.twitter.com/Ef5nXy111W
2024年12月16日:ダイナミック捻挫
つくばマラソンでサブ4を達成して、このまま練習を継続して翌年のマラソンでPB(プライベートベスト)更新や!と日々の練習に励んでいたところ、夜のジョギング中に悲劇が置きました。
夜の街灯と街灯の間の暗がりに落ちていた潰れた空き缶の上に足を踏み込んでしまい、左足裏が内側を向いた状態のまま全体重が乗っかって盛大に捻挫するという事故が起きました。
メタボのおっさんの全体重をかけて左足首をあらぬ方向に曲げてしまったため、数日経てば治るレベルの捻挫ではすみませんでした(未だ完治していません)。
つくばマラソン後も練習を継続して翌年3月のさいたまマラソンでPBを更新しようという目論見はここで潰えました。
2025年1月:足の様子を見ながら軽めのジョギング
年が明けたあたりから徐々に走れるようになってきましたが、捻挫した左足首の可動域は微妙なまま。
無理は禁物と思ってランニングは軽いジョギングに留めておきました。
2025年2月2日:神奈川マラソンDNS
そんなわけで3月の本番レースの前に入れていた2本のハーフマラソンのうちのひとつ「神奈川マラソン」は大事を取って棄権しました。
怪我をしていた左足首の痛みはほぼなくなり、普通に練習ができるようになりました。
2025年3月2日:アップダウンの激しい「三浦国際市民マラソン」で現時点の状態を確認
そして2本エントリーしていたうちのもうひとつのハーフマラソン「三浦国際市民マラソン」に参加しました。
快晴で暖かく風もおだやか。ハーフなので前半から飛ばし気味で入って後半粘れれば…と少し速めのペースで走り出しましたが、想像以上にアップダウンが多く、体力ゲージがみるみる減っていき早々に失速。
なんとか2時間は切りましたが、2週間後に控えているフルマラソンが不安になってきました。
ちなみに三浦国際市民マラソンは完走すると大根がもらえます。
2025年3月16日:風雨の「さいたまマラソン」でハムが逝く
そして迎えたさいたまマラソン。
天気はあいにくの雨…というか風雨。
スタート・ゴール地点がさいたまスーパーアリーナの中というのが救いです。
自作のゴミ袋レインを身にまといスタート。
序盤のうちはそこまで雨は気になりませんでしたが、遮るものがない有料道路あたりに差し掛かると、体に当たる風と雨に体温をもっていかれます。
「歩いたら低体温症待ったなし…」を心の中で何度も唱えながら一定のペースで走り続けましたが、30kmあたりで力尽きました。
両足ハムストリングスの疲労が激しくペースを維持できなくなり、靴が雨で濡れてしまい右足裏が靴擦れを起こして痛みで踏み込めなくなってしまいました。
そんなこんなで走ったり歩いたりでなんとかゴールのさいたまスーパーアリーナに辿り着き4時間16分で完走しました。
2025年4月20日:シーズンラストランの「かすみがうらマラソン」
そしてシーズンラストのかすみがうらマラソン。
不甲斐ない結果で終わった水戸黄門漫遊マラソンから1ヶ月後のつくばマラソンで好走したように、今回もさいたまマラソンから1ヶ月後のかすみがうらマラソンで…と淡い期待を抱いていました。
しかし4月8日の朝、玄関でランニングシューズを履いている最中にギックリ腰未遂(MAXを10とすると6~7くらいのダメージ)が発生して走れなくなってしまいました。
さいたまマラソン後の疲労抜きでしばらく休み、そしてギックリ腰でしばらく休み…と走り込みがろくにできないまま迎えた本番。
天候は曇りで気温はやや高め。
前走のさいたまマラソンは序盤に突っ込みすぎて足が終わってしまったので、今回は飛ばさずにサブ4ペースくらいで…と無理にスピードを出さずにキロ5分20秒くらいでスタートしました。
ところがスタートしてすぐに心拍が170まで上がり、5kmを過ぎても10kmを過ぎても、少しペースを落としても心拍は高止まりしたまま落ち着く気配がありません。
そして15kmを過ぎたあたりからサブ4ペースを維持するのも辛くなってきて、ついにサブ4ペーサーとその集団に追いつかれ、追い抜かれてしまいました。
心拍が一向に落ち着かないので少し歩いてみますが、少し下がっても走り出すとすぐに170前後まで上がってしまい埒があきません。体の動きもどんどん鈍くなってきて、これはいよいよ途中棄権か…と思いましたが、まだ体は動くので誤魔化しながら先へ進むことにしました。
その後は走ったり歩いたりを繰り返しながら先へ進み、ハーフを過ぎてからは歩きの比率のほうが高くなってきました。歩きの比率が高くなってきたあたりから心拍は落ち着きを取り戻しましたが、今度は足が終わってしまい満足に走れなくなってしまいました。
そしてゴール。
タイムは4時間59分…。
2年前に参加した同レースでは19km地点で右足ふくらはぎが肉離れを起こし、痛みに耐えながらなんとかゴール地点に辿り着きましたが、その時のタイムよりも遅いという残念な結果に終わりました。
気温が暑かったせいなのか、寝不足のせいなのか、疲労が抜け切れていなかったのか、理由はよく分かりませんが、これまでのレースのなかで最もコンディションが悪く体が動きませんでした。
シーズンを振り返って
…というわけで2024-2025のマラソンシーズンは、昨年のつくばマラソンをピークにジリ貧に終わりました。
つくばマラソン完走後は今シーズン中に更なる記録更新を!と調子づいていたのですが、昨年12月中旬の重度の捻挫と4月頭のギックリ腰により思うようなタイムが出せないまま終わってしまいました。
怪我が無かったら良いタイムが出たかと言われると微妙な気もしますが…。
なにはともあれ目標だったサブ4を達成できたので、次のシーズンは体重を今よりも軽くして、しっかり走り込んで足を作り、記録を更新できるように頑張りたいと思います。