下ノ廊下を歩いてきました。
登山を始めてすぐにその存在を知り、機会があれば歩いてみたいと思いつつも、歩ける期間が限られていることもあり、良いタイミングが訪れないまま年月が経過していました。
そんな下ノ廊下への想いが再燃したのが今年の夏。
色々な方のYouTube動画やブログ、YAMAPのログなどを参考に下ノ廊下を歩く計画を立てました。
紅葉のピークが10月末あたりに来ると踏んで休みと夜行バスの予約をとりました。
紅葉のタイミングはバッチリでしたが、1日目は終日曇りで雨が降る可能性あり、2日目は晴れ時々曇りということで天気が少々不安でした。
行くかどうかギリギリまで迷いましたが、そこまで酷い予報ではなかったので行くだけ行ってみようと思い、夜行バスの発着場である新宿駅に向かいました。
下ノ廊下とは?
コトバンクによれば下ノ廊下は「黒部川上流の黒部ダムから欅平付近まで続く峻険なV字谷。」とありますが、ネットの情報をざっと見渡した感じだと黒部ダム周辺から仙人谷ダムまでの旧日電歩道を下ノ廊下と呼び、仙人谷ダムから欅平までの区間は水平歩道と分けて考えるのが一般的のようです。(どちらが正確かは分かりませんが別表記のほうが多かったです)
僕はこれまで下ノ廊下は黒部峡谷の切り立った岩場を削岩して作られた秋しか歩けない危険で美しい道…くらいの認識しかありませんでしたが、出発前に書籍やWikipediaで情報収集したところ、無数の命を飲み込んだ壮絶な場所であることが分かりました。
旧日電歩道と水平歩道
欅平から仙人谷までの水平歩道が開通したのが1920年で、当時管理していた東洋アルミナムから電力事業を引き継いだ日本電力が、水力発電所の建設に備えた調査を行うために仙人谷からさらに上流に日電歩道を1929年に開削しました。
1951年に関西電力が日本電力の施設を引き継ぎ、旧日電歩道から水平歩道の区間を管理しています。
関西電力が黒部ダムの建設を決定した際に、ダムを建てる条件として旧日電歩道から水平歩道の区間を登山者のために毎年整備することを厚生省から義務づけられ、維持・補修のための費用は毎年数千万円にものぼり、延べ500名もの人員がを投じられているそうです。
高熱隧道
黒部ダムから旧日電歩道を歩いていくと仙人谷ダムに到着します。
そこから1時間ほどで阿曽原温泉小屋に到着しますが、仙人谷から阿曽原までの区間の地下ではトンネルを開削するためにかつて大勢の命が犠牲になりました。
また、仙人谷ダムの工事全工区での死者は300名を超えたそうです…。
本題に入らないまま前置きが長くなるのは避けたいので詳細は後述しますが、下ノ廊下を歩く前に「高熱隧道」という書籍を読んでおくと旅に深みが出るのでおすすめです。
ただ、当時の生存者への聞き取りや実地調査などをまとめた「真説高熱隧道(PDF)」によれば、高熱隧道には誤り(志合谷宿舎が泡雪崩の衝撃で吹き飛ばされて奥鐘山の岩壁に激突した etc)が多く含まれているとの指摘(佐藤組の工区主任今村常吉氏の秘書的な地位にあって、工事の進行について詳しかった宮嶋治男氏に誤記述と虚構を数々指摘されている)があるため、半分エンタメくらいの認識で捉えておいたほうが良いかもしれません。
…と前置きはこの辺にしておいて本題に入ります。
扇沢から黒部ダムへ
前夜に新宿を出発した高速バスは翌朝5時30分に扇沢駅に到着。
ここから始発のバスに乗ってスタート地点の黒部ダムに向かいます。
夜行バスを下車してから2時間ほど待ちますが、6時くらいに扇沢駅の中に入ることができました。
外は寒いですが中は快適です。
扇沢駅の改札前に並んでいると、名物駅員の中里さんがお弁当を売りに来て笑いを誘っていましたが弁当は1個も売れていませんでした。
バスは時刻表通り7時30分に出発。
下ノ廊下を歩いて阿曽原温泉へ!
室堂に行く時は黒部ダムから黒部湖駅に向かいますが、下ノ廊下はバスを下車して別の通路を進んで外に出ます。
出口そばのトイレに入るか入らないかで2往復した末に順番待ちに並んでトイレに入るというタイムロスを経て出発。
天気は予報通りのどんよりした空模様…。
天気予報サイトの中には雨を予報しているところもあったので、1日目は行程を楽しみつつ無駄のない動きを心掛けます。
黒部ダムから内蔵助谷出合
黒部ダムから少し下って黒部川にかけられた橋を渡って対岸に出ます。
10月中旬くらいまで行われていた観光放水はすでに終了しており水量は少なめでした。
下ノ廊下(旧日電歩道)突入
川から離れた場所をアップダウンしながら歩いていくと徐々に景色が開けてきます。
ただ序盤はそれほど高いところは歩かないので高度感はありませんし、仮に滑って落ちても助かりそうです。
大きな岩がゴロゴロしている場所もあります。
先行する登山者と比較してもらうと岩の巨大さが分かると思います。
黒部川は当初抱いていたイメージよりもだいぶ穏やかですが、ダムからの放水や天候の変化で大きく表情を変えるのかもしれません。
歩けば歩くほど、進めば進むほど下ノ廊下感が高まってきて、口から自然と「ヤバい…」という語彙力が低下した呟きが連続して出てきます。
峡谷の岩場は徐々に崩れていっている箇所もあるようなので、このルートがいつまで歩けるのかは分かりませんが、維持・管理・修繕を行っている関西電力には頑張って欲しいところです。
太陽は雲に覆われて隠れたままですが、それを差し引いてもお釣りがくる素晴らしさです。
先に進むにつれて岸壁をコの字型にくり抜いたような道が出てきます。
岸壁につけられた道には転落防止の番線(太い針金)が打ち付けられています。左手で番線を掴みながら歩けばよほどのことがない限りは転落はしないはず。
ちなみにバックパックの左側にはトレッキングポールや丸めたマットなどを外付けしてはいけません。
岩に引っかかって反動で谷へ転落…みたいなことになりかねないので、荷物は極力バックパックの中に入れ、やむを得ない場合は右側に取り付けるようにします。(進行方向が逆の場合は反対に付けます)
この岩々した感じがたまりません。
この質感。
そしてこの紅葉。
そして黒部川。
最高です。
下ノ廊下は黒部ダムからの一方通行ではないのですれ違いには注意が必要です。
欅平側から黒部ダムに歩く登山者も少なくないので、ある程度の時間になってくるとすれ違いが発生します。
ただ下ノ廊下は道幅がかなり狭いので、譲り合いの精神ですれ違いをクリアしていく必要があります。上の写真は10名くらいの団体で微妙な場所でのすれ違いだったので、岸壁側に体を預けたまま結構待たされました…。
十字峡
十字峡の吊橋に到着しました。
十字峡はその名の通り、黒部川の両脇から沢が流れ込み、上から見ると十字型になっていることから名づけられた場所だと思われます。
YouTubeや他の方のブログなどを見てみると十字峡の全体を俯瞰できる場所があるようですが、今回は名前を付けられた各所の峡谷ポイントの予習が完全ではなく見逃してしまいました。
上の写真は動画から切り出した吊橋から見た十字峡です。
吊橋を渡ったあとに少し登って落ちたら完全にゲームオーバーな高さに…。
エメラルドグリーンの黒部川。
紅葉の木々と相まってとても綺麗です。
右から左に抜けていくU字型の通路の真ん中から撮影。
しっかり整備されているからこそ歩ける道です。継続して維持・管理している関西電力に感謝。
S字峡
S字峡です。
なかなかの高度感です。
恐らく上の写真のあたりがS字ではないかと…。
関西電力の送電線が見えてきました。
この辺りの紅葉もヤバいですね。
目が点になったオバQみたいですね。
東谷吊橋までの下りで両膝が痛み出しました。
普段の登山よりも下る時間はそれほどなかったはずですが、下ノ廊下を歩いているという妙なテンションのせいでペースが乱れていたのかもしれません。
吊橋を渡りしばらく歩いていくと…
仙人谷ダム
仙人谷ダムに到着です。
仙人谷ダムは下流にある欅平の黒部川第三発電所で発電を行うために、日本電力が黒部川水系に建設した発電用ダムです。
このダムの建築資材を運搬するために、欅平から仙人谷までの区間のトンネル工事が行われましたが、阿曽原~仙人谷の区間に高熱の岩盤が出現し工事は難航しました。
坑内の温度上昇によるダイナマイト暴発による死亡事故、湧き出る熱湯による火傷や、高温化での作業による体調不良など現場の作業員にのしかかる負担は相当なものだったようです。
また、水平歩道からの歩荷の滑落事故、志合谷の泡雪崩による宿舎崩壊など様々なトラブルが頻発し、トンネル開通までの間に延べ300人余りの人命が失われました。
この日は放水していませんでした。
ここから阿曽原温泉小屋に行くにはダムの施設内を通ります。
入って歩いていくと工事用トロッコ電車の線路に出ます。
この線路に出た瞬間にむわっとした湿った熱気が体にまとわりついてきます。
また辺りには硫黄臭が漂っていました。
ここは関西電力専用ルート、いわゆる黒部ルートと呼ばれる⽔⼒発電設備の保守・運営のための人員・資機材輸送専用ルートで、欅平から⿊部ダムの約17kmが結ばれています。
via:⿊部ルート旅⾏商品化にかかる安全対策(案)について(PDF)
これから向かう阿曽原温泉小屋からこの仙人谷ダムの区間には、最高温度165度の高熱の岩盤があり、多数の死者を出し工事が難航しました。
工事が完了したあとも岩盤からの放熱は続いていますが、現在は40度くらいに落ち着いているようです。
黒部ルートの一般公開について
そんな黒部ルートですが現在安全対策工事が行われており、2024年の一般開放を予定しています。
黒部ダムと黒部峡谷の欅平を結ぶルートで黒四発電所の建設などに伴い、日本電力㈱や関西電力㈱が工事用ルートとして整備したもの。
通称「黒部ルート」と呼ばれている。2018年に関西電力㈱と富山県が締結した協定により、安全対策工事完了後の2024年に一般開放を予定している。
仙人谷ダムからの登り
そんな仙人谷ダムを抜け1日目の目的地の阿曽原温泉小屋に向かいます。
ダムを抜ければ小屋はすぐそこ…と思いきや、
尾根に出るための激登りが待ち構えていました…。
息も絶え絶えに尾根に出て一息ついたと思いきや、今度は阿曽原温泉小屋への下りが待っていました。
阿曽原温泉に到着
14時27分。
膝の痛みに耐えながらノロノロと下り続け、ようやく阿曽原温泉小屋に到着しました。
小屋の外でスタッフの説明を受けテント泊の申し込みを済ませます。
テント場利用料は1人 1,800円(入浴料 1人 800円込み)でした。
阿曽原温泉小屋の温泉は1時間交代で男女が入れ替わるルールで、15時から男性の時間帯とのことなので、急いでテント場に向かいました。
阿曽原温泉のテント場
阿曽原温泉小屋のテント場は小屋から階段を降りたところにあります。
上の写真のプレハブ小屋が阿曽原温泉小屋で、コンクリートの土台はかつて隧道を開削する際に建てられた作業宿舎のものを利用しているそうです。
またこの周辺は冬になると雪崩が日常茶飯事らしく、10月末に小屋の宿泊営業が終わるとプレハブ部分が解体されトンネル内に収納されるとのことでした。
トンネルが掘られていた1940年1月には泡雪崩とそれに伴う火災によって作業宿舎で寝泊りしていた大勢の作業員が犠牲になったそうです。(当時はこの周辺に幾つもの作業宿舎があったので現在の阿曽原温泉小屋の場所かどうかは不明)
また、阿曽原と仙人谷を結ぶトンネルを掘っていた当時、岩盤温度が150℃を超える高熱帯が立ちはだかり、ダイナマイトの暴発、高温下での作業による熱中症や火傷など、開通させるまでに大勢の命が犠牲になりました。
そんな壮絶な現場につながっていた横坑がこちらです。
現在は岩盤温度がコントロールされていて坑内の温度は抑えられているようですが、当時はトンネル内を削岩していく作業員の負担を軽減させるために黒部川の水を引き込んで体に放水していたそうです。
そんな横坑の前に広がるテント場にテントを設営して風呂の時間を待ちます。
温泉に入る
15時になりそうなところで、タオルを持ってテント場から続く階段を下りて風呂に向かいます。
急いで露天風呂に向かったのは写真を撮りたかったからです。人が入りだすと撮りたくてもなかなか撮れないですからね…。
トンネル内から湧き出す湯に水で温度調節した少々熱めの温泉です。
僕は道中で両膝を痛めており、本当ならこういう時は患部を温めるよりも冷やしたほうがいいような気がしましたが、ここまできてそんなことは言っていられません。
周囲にあるすのこに脱いだ衣類を置いてコンクリート打ちっぱなしの湯船につかります。
山の中で素っ裸になり、紅葉を見ながら温泉につかる…最高です。
いい感じに温まったのでテント場に戻ります。
寝るまでのひと時
ひと風呂浴びた後のビールは最高です。
今回のテント泊のためにサンダルを新調しました。
ルナサンダルが欲しかったんですが、使用頻度の低いサンダルにあまりお金を出すのはなぁ…と思い、手ごろな価格のビルケンシュトックのサンダルにしました。
テント場と温泉の間は登山道のような道を少々歩きますが、このサンダルで問題なく歩けました。100均のペラペラサンダルだと石の突き上げがダイレクトに足裏に伝わってきて山で使うのはちょっと厳しいんですよね。
一息ついたあとはテントの中でスマートフォンに事前にダウンロードしておいたディズニープラスの映画を再生しますが、なぜか日本語字幕が出ません。
何を言っているか分からないダイハード2を最後まで視聴しました。
その後はいつもの寝ては起きての繰り返し。
テントから顔を出すと星空が綺麗でした。
せっかくなので星空撮影ができるPixel 6 Proでも撮ってみました。
スマートフォンを固定するアタッチメントを家に忘れてきたので、その辺にある石に立てかけて撮影してみました。
数分間の撮影時間を要しますが、僕が一眼で撮った写真よりも綺麗に撮れていて何ともいえない気持ちになりました。
↓ 2日目の記事はこちら ↓
YouTubeに動画を公開中
今回の旅の様子はYouTubeに公開しています。
本記事と合わせてご覧いただくと下ノ廊下の様子がよく分かると思います。